運営者情報

基本情報

コロナ禍になり、日本国内でも広まったテレワークという業務形態と、感染防止の観点で人と会う機会・習慣がほとんどなくなり、元々少なかった友人がさらに減ってしまいました。ひとりで過ごす時間がかなり増えたので、「せっかくなら!」と開き直って、その時間で余暇を全力で楽し30代男性です。

元高校球児の体力を活かして、旧東海道などの五街道を中心に「街道歩き」にも挑戦中。旧東海道(大半は現東海道と同じ道)を東京日本橋から京都三条大橋まで歩く旅も実施。22年、23年にそれぞれ1回ずつ、旧東海道(約500km)を完歩しています

街道歩きなどを通じて、「歩く」ことの楽しさを知り、魅力や楽しさを発信したいと思うようになりました。僕の発信が少しでも誰かの役に立ちましたら嬉しいです^^

運営目的

本サイトの運営目的としては、まず第一に、自身の備忘録としての意味合いが強いです。自己満足の要素が正直強めです。そのため、訪問いただいた読者の皆さんに本当に意義がある情報を届けられるかというと必ずしもそうではないと思います。

しかし、それでも自身が実際に足を運んだり歩いてみて感じたこと・感動したこと・素敵だと思ったこと・有益だと思った情報を、できるだけわかりやすく読者の皆さんにお届けできるように努めていきたいと考えています。

ぜひ温かい目で見守っていただけると嬉しいです。

街道歩きを始めた経緯

僕が街道を歩き始めたのは、間違いなく、「日本橋生まれ日本橋育ち」で生粋の江戸っ子だった祖父の影響が大きいです

祖父は定年を迎える前後から、自身のルーツである日本橋を起点に旧東海道(東海道)を京都三条大橋まで歩く旅を始めました。しかし、道半ばで病に倒れてしまい、旧東海道を完歩することは叶わず、一昨年に亡くなりました。

おじいちゃんっ子であった僕は、祖父の遺志を引き継ぐために、街道歩きを始めることを決めました。

30代で2度、旧東海道(約500km)を歩いて踏破

2022年10月に旧東海道を東京日本橋から京都三条大橋まで歩く旅を始めて、2022年12月末に無事に東京日本橋から京都三条大橋までの道のりを無事に歩き切りました。

しかし、2022年はさまざまなハプニングなどもあり、東京日本橋から京都三条大橋まで順繰りに歩くことはできませんでした。例えば、箱根の旧街道や芦ノ湖周辺を熊対策不足の状態で臨もうとしていたら、数日前に旧街道の近くで熊の出没情報があったことを知り、身の危険を感じて歩くのを断念。泣く泣くバスで三島宿(静岡県三島市)まで行き、三島宿、沼津宿、原宿(静岡県沼津市)まで歩きました。後日、熊対策を万全にした状態で箱根まで戻って、箱根旧街道や箱根峠を歩くという、かなり渋めの経験もしています。

2022年に、旧東海道(東海道)自体は完歩できましたが、東京日本橋から京都三条大橋まで順繰りに歩くことはできなかったので、2023年1月から第2回旧東海道を歩く旅を実施しました。

2回目の完歩の旅は事前にある程度準備もできていたので、1月から6月まで約半年間かけて、順繰りに東京日本橋から京都三条大橋まで東海道五十三次の順番できちんと歩き切ることができました。仕事や大切な予定のために東京や神奈川に帰る必要があったので、関東と旧東海道を行ったり来たりはしていましたが、胸を張って順繰りに歩き切ることができたと言えます!

1年間で2度、旧東海道(東海道)を歩いて思ったことは、まず「街道歩きって楽しい!」ということでした。20代のうち、それこそ大学生のうちから、街道歩きの楽しさを知っていたり、想像できていたりしたら、きっと、もっと豊かで楽しい20代を過ごせていたかもしれません。弾丸旧東海道完歩ツアーもしていたことでしょう。

ブログを始めるにあたって

祖父のこともあったので、街道歩きからスタートした僕ですが、歩いているうちに次第に街道歩きだけでなく、「歩くこと」自体に楽しさや魅力を感じるようになりました。

烏滸オコがましいかもしれませんが、自身が感じた「歩くこと」の魅力や楽しさを伝えたいという想いがわき、本サイトを運営する運びとなりました。自身の備忘録のような形としても機能して欲しいなという想いもあります。

訪問いただいた読者の皆さんに少しでもプラスになる情報を届けれればと思うので、書き方なども工夫しつつ、マイペースではありますが、本Webサイトを更新していければなと思います。

長くなってしまいましたが、最後までご覧いただき、ありがとうございました。

それでは今回はこの辺で!

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